「ひとりぼっち」

心の中の小さなすねた女の子にインタビューしてみたら、こんな詩を紡いでくれました。
学校の教室で読んだら、みんながシーンと落ち込みそうな感じですねー(他人事風に)

「ひとりぼっち」

はなやま てつこ 作

みんな南の島を楽しんでいるのに、

私だけ東京の日常に取り残されて、ひとりぼっち

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毒親への許しの瞬間は突然やって来た!家族の結婚式にハブられ一人行けなかった私に起きた奇跡②決死の訴えで家族が一致団結

父の不手際で、弟の海外挙式に一人だけ行けないかもしれない事態に。だが、両親は「どうせ、鐵子だし、行かなくてもいいんじゃない」というレベル。人をなめ腐っていた。

「結婚式に家族がそろわなくていい。そんなことを思うのは、家族じゃない!今の状況で私だけ結婚式に行けなかったら、私は縁を切る!こんな家族はもういらない!」私は泣きながら1時間は訴えた。

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毒親への許しの瞬間は突然やって来た!家族の結婚式にハブられ一人行けなかった私に起きた奇跡①一人だけビザが下りない!

私は怒り狂っている。

ことの発端は、弟の海外挙式である。身内の中で私だけビザの申請がうまく行かなかったのである。私に対して注意喚起はあったが、そこまで深刻な事態だとは知らなかった。

いよいよ私だけ行けないかもしれないという事態を知らされたのは、出発2週間前だった。

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毒親には必殺仕事人となって天誅を下そう!!

毒親、斬るべし!

私の心は煮えたぎっている。

和解したかと思うと、突然足下をすくわれる。

奴らは、人を邪険に扱うことに慣れきっているのだ。

そうして、いじめて、人の心を潰しても、誰にも訴えられない。傷害なら逮捕されるが、親のモラハラは「その子のため」「その家の教育方針」という名目で守られる。潰された方は、たまったものではない。

人は安易に許せ、という。だが、それは違う。まずは多いに怒ることだ。自分の尊厳を傷つけたことに憤り、相手に対峙する。

誰も守ってくれなかった。誰もかばってくれなかった。誰もおかしいと言ってなかった。

ならば、自分で裁判を開けばいい。決闘場を設ければいい。償いも賠償も求めればいい。

賢者モードではない!

主水モードなのである!

毒親、斬るべし!

とりゃああああああ!

 

 

 

炭酸泉で意識と無意識の狭間へ。6歳の泣いている自分と対峙する。

今はやりの炭酸泉。炭酸(二酸化炭素)が溶け込んだお風呂。

38度くらいのぬるま湯が多く、ボーっとしながら、長湯することができる。

昨日いつもの銭湯が休みで、別の銭湯に行ったら、そこに炭酸泉が!早速、入浴。

自分だけかもしれないが、炭酸泉に入ってリラックスしているだけで、意識と無意識の狭間に短時間で行ける。(かつて、元カレを手放すことに成功し、味をしめたのである。)昨日も入って5分くらいで、意識の底に沈んでいく感覚を覚えた。

そこには6歳くらいの女の子がむせび泣いていた。鼻を垂らして、うわーん!びえーん!

ああ……これは、ここ数日暴れまわっているものの正体だ。小さいころの寂しくて落ち着かない自分の姿。怒りと悲しみの源。

心の奥底がヒリヒリと傷む。抱っこしてあげて、思う存分泣かせてあげた。泣きつかれると、寝てしまった。すやすやと寝ている彼女を見て涙があふれた。

私はこれくらいの年には、もう親に甘えることができなかった。逆に不安定な親たちを精神的に支える側に回っていた。だから、感情とはコントロールするものだと長年思っていた。

涙をお湯でバチャバチャとごまかし、フッと意識の表面に上がってくる。抱いているのは、自分の身体だった。

自分で自分を抱きしめる。自分って温かいな、優しいな、繊細だなと思って、そっと抱きしめる。宝石を愛しむかのように。

(※あ、これ決して、不埒なこと公共浴場でしてるという意味じゃないっす!誤解なきよう…)

昔はそんな寂しいことしたくないと思っていた。けれど、最近はこんなに尊い行為はないと思うようになった。

自分自分を抱きしめる。受け入れる。受け止める。これさえできれば、何があっても、生きていける。私は大丈夫。

そんなことを考えながら、帰宅。
風呂上がりに20分ほど歩いたが、家に帰って身体が火照っていた。床についてからは、ここ数年経験していないような深い深い眠りに付けた。翌朝は身体中がスッキリしていた。

これで500円くらい。マッサージもカウンセリングもいらない、脅威の自分癒し。炭酸泉、本当に恐るべし!

行った銭湯。鶯谷駅徒歩3分「萩の湯」http://haginoyu.jp/

コンビニ冷凍イチゴとワインで即席サングリア。美人はイチゴが好きに違いない(妄想)

今日も忙しいやら、怒りが爆発するやら、とても美人に振る舞えなかったなあ。

ならば一日の終わりくらい、可愛く行こうじゃない!

コンビニ寄って、即席サングリア。

甘酸っぱい恋の味。つまみは「中学聖日記」。ありゃ、結構ドロドロ?

「私は美人」はパーツ褒めで構わない。爪の形、筋、骨、毛でもOKにしてみたよ!

「私は美人」……鏡を見て、そんな言葉を到底言えない時がある。というか、そんなことばかりである。

というか、そもそも私は、自分の姿を鏡で見ることに、つい最近まで抵抗があったくらいだ。コミュ障経験者、自己肯定感が低い人は、たぶんお分かりいただけるだろう。

自分の姿を鏡で見ると、悲しくて、辛くて、存在しているのが嫌で、消え入りたい気持ちになってしまうのである。
今でも、その後遺症が少し残っている。鏡を見ても褒める要素がない。テンションが下がっている時には、そんなことも結構ある。

そんな時、ひらめいたのは、パーツ褒め

「私の爪、スクエアーでなかなかいい形。うん、美人かも?」
「首の筋、細くてなかなか色っぽいね。うん、美人かも?」
「今日の眉毛、うまく描けてるね、うん、美人かも?」
「この産毛、繊細で可愛いな。うん、美人に生えててもおかしくないかも?」
※だんだん、とんちみたいになって来た…(笑)

全体で自分を美人と思えなくても、こんな感じなら続きそうな気がする。