前提を疑う。①「私だと思っている私」は本当か?その誤った自己像はどこでインストールされたのか?

私はほんの数年前まで、自分のことをこんな風に思っていました。

性格が悪い
わがまま
気が利かない
モテない
オシャレしてはいけない
お父さんから愛される権利はない
男性から愛される資格はない
男性から親切にされてはいけない
結婚できない
結婚したらパートナーがかわいそう
子供を産む資格はない
頭が悪い
本ばかり読んでいるから、ますます頭が悪くなる
大人になってからも勉強し続けて、おかしな人
変わっているから、世間になじめない
正社員じゃないから、かわいそう
理系じゃないから、ダメ人間
物書きは社会の落後者
親の期待を裏切ったから、幸せになってはいけない

本当に、真剣に、心の底から、こんな風に思っていました。

こんな自分は、絶望のうちに、むなしく死んでいくのだ。それは仕方のないことだ。

ずっと人生あきらめながら、生きていました。

幸せになることなんて、生涯できないのだと。

誰かに助けてもらいたい。でも、誰も助けてくれない。

このまま、むなしく年を重ねていくだけ。それって生きている価値あるんだろうか?と。

 

だけど、ある日、気づいてしまったのです。

この現実をひっくり返す、唯一のトリックを。

それは、

「前提が間違っているのではないか」ということ。

謝った自己像を、初期設定でインストールされてしまったのではないか?ということ。

そもそも「私だと思っている私」は、本当の姿なのか?

実は誰かに「そう思わされている」だけではないのか?

例えば、本当に私は「性格が悪い」のか?

⇒そもそも「性格がよい悪い」に基準なんてある?少なくとも私は人に意地悪しないし、困っている人は助けるし、家庭内でいつも気を遣って生きてきた。友人にも優しい。こういう人って普通「性格がよい」に分類されるんじゃないかなあ。本当に「性格が悪い」のは私をいじめ続けるお父さん。それをカモフラージュするために、家庭内で私が「性格が悪い」ということになっている? 私自身が「性格が悪い私」を演じ続けている? うん、そう考えると説明がつく。どちらかというと、私、性格よい方だと思うなあ。

前提を疑い、ひとつひとつ検証し始めて、

「あれ、これ違うんでないの?」と確信し、

新しい自己像をインストールし直したら、

世界がひっくり返りました。

自己評価を変えたら、周りの見方が180度変わりました。

文字通り、革命ですよ。

「なんじゃこりゃぁぁー!!!」(松田優作ばりに)

30㌔のザックを背負って、高度3000メートル級の山を縦走していたのが、

平地でハンドバックを片手に、歩く歩道の上をフンフンフン♪と爽快に歩いているような感覚。

人から優しくされるし、男性からモテ始めるし、仕事も人間関係もスムーズ。

むしろ、好きなものばかりに囲まれすぎて、どれから手をつけていいか困っちゃう。

 

何だよ何なんよーもう!今までの人生の苦労返してよ!

まるで、今までの人生まるごと「詐欺にあった」ような感覚を覚えました。

なぜ、こんなバカげたことがまかり通ってしまったのか?

「偽の自己像」をインストールさせた、植え付けた張本人はいったい誰なのか?

そう、犯人は、みなさんお気づきのように、親だった

親による長年の言葉のシャワーによって、私は「偽の自己像」をインストールされていたのです。

「私だと思っていた私」は私じゃなかった。親による都合のよい評価だった。

ここから、私は家族に対する怒りが抑えきれなくなり、毒親と対決しました。
(私個人のやり方なので、気づいてスッキリしたら、必ずしも対決する必要はないです。でも普通はムカつくよ!)

では、「これまで私だと思っていた私」は、なぜ誤ってインストールされたのでしょう?

つづく

前提を疑う②「私だと思っている私」初期設定のまま更新しなかったら、不具合が生じる

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テツコハナヤマ
毒親育ちが、ロックマンしか愛せず音信不通に苦しむ日々を卒業し、誠実な癒し系の旦那様と結婚。コロナ禍で出産し、産後クライシスに荒ぶりながらも「毒親育ちが居場所を見つけて、ライフワークと家族と生きる」日々を発信中。根本裕幸氏のお弟子さん1期。 詳しいプロフィールはこちら。