感動ストーリーは必要か?インタビュアー泣かせの「よく分からんけど、成功した」って話。

最近、ライター業を再開し、たまにインタビュー記事を書いています。

社長や芸術家の方を取材することが多いです。

その人のキャリアストーリーをインタビューするのですが、結構よくあるのが、

「よく分からんけど、結果的に成功しちゃいました」ってパターン。

5年前の私だったら、「いえいえ、そんなことはないでしょう。どんな困難があったのですか?」と根掘り葉掘りネチネチと聞いて、感動的なストーリーを掘り出していました。

……というのは勘違いで、実際には「困難を乗り越える」というストーリーを勝手に作り上げていただけかもしれません。

私たちは苦労して成功する「プロジェクトX」のような感動話を、どこかで求めているのかもしれません。

人は苦労して、困難を乗り越えてこそ、成功をつかみ取る!努力、友情、家族の絆!お決まりの定型パターンです。

苦労話のない淡々としたストーリーだと、デスクによっては、「こんなにあっさり成功するわけないやろ!お前の取材が足りんのやー」と怒られてしまうこともあります。

マスコミ業界は、感動、努力のストーリーがないと、取り上げる価値がないと思っている人も多いです。かつての私もそうでした。

戦後の日本では、困難を乗り越えて豊かになっていくサクセスストーリーが、国民的な「神話」として、長年必要だったのかもしれません。

ただ、心理学を勉強し始めた今となっては、その定型パターンに落とし込むことに、違和感を覚えるようになりました。

もちろん、大変な苦労を乗り越えて、成功している方々もたくさんいます。
(で、そういう人は実際、感動話や苦労が好きな人が多いと個人的には思います)

一方で、感動のストーリーに当てはまらない方も、それなりにいます。

先日、取材した芸術家の方も、「自分はこの仕事しかできないし、他に稼ぐ方法も知らないし、好きなので続けてきただけなんだけど……」と申し訳なさそうに話していました。その業界では大家の有名な先生です。

「どんな苦労があったのですか?」と聞いても、「別に苦労はないですね。楽しいから続けているだけですし……」って淡々とした答えでした。くううう、インタビュアー泣かせ!

そうなると、もう苦労話を聞かずに、その人がワクワクするテーマを掘り下げることを意識するようになりました。

テーマを掘り下げる中で、「あれ、これって普通の人からしたら、すごく大変だし、苦労じゃないの?」ってエピソードが出てきます。

でも、そういう人たちは、それを苦労や困難だと思っていません。

心から楽しいことをやっているので、苦労を苦労だと思っていないようなのです。

徹夜で並んで新作のゲームを買ったり、夜行バスで遠方の公演に好きなアイドルを追っかけに行ったりするような感覚でしょうか。好きなことだから、徹夜も夜行バスの疲れもへっちゃらという感じ。

それって、すごいことですよね。

そして、彼らに共通するのは、自分の心にウソをつかず、心からワクワクすることを、できる範囲でコツコツと続けてきたということです。

ただ、感動ストーリーが好きな人からすれば、読み物としては、もの足りなくなってしまうかもしれません。

しかし、そこがライターとしての腕の見せどころ。その人のワクワク感、充実感を、どうやって分かりやすく、あるがままに伝えられるか。もちろん、読み物としての面白さも失わずに。

最近では、そういう取材、書き方にチャレンジすることに、ワクワクしています。

あ、やっぱり、ライターって自分の天職なのかも。今、書いていて気づきました。

書き手として、カウンセリングや心理学を学んできて、本当によかったなって思います。

師匠の根本先生も「うまく行く」とはどういうことか、記事を何度も書いておられますね。先生のこの手の記事、とても好きです。

「うまく行く」って何だろう?
https://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/10772

根本が考える夢の叶え方~なぜ、いつも好きなことをしなさい!と言うのか?~
https://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/21070

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テツコハナヤマ
毒親育ちが、ロックマンしか愛せず音信不通に苦しむ日々を卒業し、誠実な癒し系の旦那様と結婚。コロナ禍で出産し、産後クライシスに荒ぶりながらも「毒親育ちが居場所を見つけて、ライフワークと家族と生きる」日々を発信中。根本裕幸氏のお弟子さん1期。 詳しいプロフィールはこちら。