「私は自由」と唱えたら、子供がかわいいと思える瞬間が確実に増えた。

「私は自由」。

そう口に出してから、だいぶ気分が変わった。

忙しい状況は変わっていないのに、不思議だ。

ふと手を止めて姫の顔をじっと見ながら、「あら、かわいい♡」と思う瞬間が確実に増えた。

育児の合間に無理に色々とやろうとしないで、ゴロンと横になれるようにもなった。

家事や雑務が進まなくても、「まあ、姫が1日無事に生き抜いてくれればオッケー」と思えるようになってきた。

この心の余裕は、どこから来ているのだろう。

自由になるのも、ならないのも、自分次第。選択権は自分が握っている、と思えたからだろうか。

いつもの執着と手放しの原理だ。

からくりはたぶん、こうだ。

今までは、「自由でありたい」「自分の時間が欲しい」と必死に自由に執着していた。

執着は選択肢がない状態、おそれの気持ちから生じる。

私の場合は「自分の時間が奪われる」というおそれの気持ちだった。

でも、執着を、前向きなこだわりに変えてみる。

「育児をしながら、自分らしい時間を持つ」という前向きなこだわりへ。

すると、

「今の不自由という状況は自分で選んでいる。

もっとも赤ん坊を育てているんだから、しゃーない面もある。

ただ、いざとなったら知恵と工夫次第で、いつでも私は自由になれる。

選択権は自分にある」

と思うようになる。

前向きなこだわりは、ワクワクするエネルギーを作る。

そうすると、自分が余裕を持つことに対して、色々な手を思いつくようになる。

家事は外注したっていい。料理は手を抜いたっていい。

食費気にせず、お惣菜に頼ってもいい。(島のお惣菜は本土の2倍する)

ブログや日記は全然書けなくてもいい。

おふろに入れなくてもいい。(そりゃ、入りたいけど)

きつかったら、遠方の実家に戻ればいい。(親との仲はおいといて、育児は頭数が多い方がいい)

とにかく誰かに頼ればいい。産後ドゥーラとかベビーシッター。

旦那さんを育成する、とか。

コーヒーもガバガバ飲まなきゃ大丈夫。飲んじゃえ、飲んじゃえ。

さらに、罪悪感やもろもろの思いに縛られていたのだとも気づいた。

子供をかわいいと、いつも思っていない自分にイライラする。

母親なのに、のんびりしていたら、忙しい人たちに申し訳ない。

元祖ワンオペの母親と同じ気持ちを味わいたい。

世の中には、不妊治療に励んでいる人たちもいる。私はスムーズに授かったんだから、たかが育児で文句を言うべきではない。

産む病院でコロナ患者が出たと知ってストレスマックスだった時、「この子だけは無事に産みたい。後の願いはどうなっても構わない」と思ったくせに、不自由なことに対して愚痴をいうべきではない。
(ただ、こう思ったことは、一生心に刻んでおきたい)

などなど……

ブログを読んだ人から、「自分なりの新しいお母さん像を作っている」とのメッセージもいただいた。

私は心に余裕を持って、子供と接したい。

ワンオペ・ヒステリー母を反面教師に、どうしたら自分らしく余裕を持てるか、これからも思考錯誤していく。

不自由を楽しみながら、自分の時間を作りつつ、育児をしたい。

それが私の願いだ。

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テツコハナヤマ
毒親育ちが、ロックマンしか愛せず音信不通に苦しむ日々を卒業し、誠実な癒し系の旦那様と結婚。コロナ禍で出産し、産後クライシスに荒ぶりながらも「毒親育ちが居場所を見つけて、ライフワークと家族と生きる」日々を発信中。根本裕幸氏のお弟子さん1期。 詳しいプロフィールはこちら。