結婚式騒動のその後①やっぱり納得できず実家で札束とケチャップをぶちまけた

弟の結婚式にパスポート取り違え騒動で行けなくなった私。

成田から一人帰国したその日は割と吹っ切れていたが、翌日から悲しさと怒りがこみ上げてきた。なぜ家族親戚の中で私一人だけ結婚式に行けないのか。

悔しくなって、何度か両親に抗議の電話をした。だって、実家にあったパスポートを捨ててしまったのは両親なのだから。父は「仕方がないものは仕方がない」の一点張り。母は「申し訳なかった。これじゃ楽しめない」と平謝り。

一抹の望みをかけて実家にパスポートを探しに行った。
やっぱりパスポートは見つからなかった。

誰もいない実家で一人探しものをしながら、怒りがこみあげてきた。

両親は私の発する言葉も持ち物も、いつも蔑ろにしてきた。今回も実家のリフォーム前に貴重品を取りに行く前に捨てないでほしいと何度も頼んだのに、勝手に私の荷物に手をつけて、捨ててしまったのだ。

パスポートが捨てられたのは、偶然ではない。これまでの結果の積み重ねだと思った。

記念日には家族がそろうことが何よりも大切だと、いつも教えられてきた。
母の誕生日プレゼントを忘れて、家に入れてもらえなかったこともあった。
そんな厳しい育て方も、家族の大切さを伝えるためだと納得してきた。

でも、結婚式に私は一人だけ参加できない。家族がそろうことの大切さをさんざん教えてきた両親によって。

こんな家族なんてなくなってしまえばいい。
こんな家なんてなくなってしまえばいい。

いっそ、実家に火を付けたい。
いや、それでは私が後々犯罪者になってしまう…。

私がどれだけ怒っているか、どうやって彼らに言えば伝わるのか…。
どうせ帰国して訴えても、「仕方がない」と一蹴され、
今回の騒動もなかったことにされてしまうだろう。

アートだ!怒りを芸術で祭りで表現しよう。可視化だ!

私はパスポートを探すため特別に開けた金庫から、両親の札束を持ち出し、
リビングに思いっきりバラまいた。
お札って思うように散らない。蹴っ飛ばして踏んづけてやっと部屋中に行き渡った。
そして、キッチンからインスタートコーヒーの瓶を持ってきて、シャカシャカと上からふりかけた。仕上げに、トマトケチャップでデコレーション。
なかなかカオスな状況になった。3歳児になった気分だ。

本当はスプレー缶を買ってきて、リフォーム終えたばかりの家中を、シャッターの落書きみたいに汚してみたかった。
でも、いい子はそこまでできない。

この程度なら掃除して済むだろうし、私の怒りも伝わるだろう…。

そんな気遣いまでしながら、怒りを表現している自分が何だかバカバカしかった。でも、少しすっきりしてきた。ああ、これが体験したことのない、反抗期というやつなのかもしれない…。

もう後は知ーらないっ!

私はそのまま実家を後にした。

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テツコハナヤマ
毒親育ちが、ロックマンしか愛せず音信不通に苦しむ日々を卒業し、誠実な癒し系の旦那様と結婚。コロナ禍で出産し、産後クライシスに荒ぶりながらも「毒親育ちが居場所を見つけて、ライフワークと家族と生きる」日々を発信中。根本裕幸氏のお弟子さん1期。 詳しいプロフィールはこちら。